卒業式告辞

2025年度卒業式告辞

 桜が花を開きました。
 本日、この晴れの日、401名の方が卒業、修了を迎えられます。教育学部卒業生307名、大学院連合教職実践研究科修了生81名、特別支援教育特別専攻科修了生13名。ご卒業、ご修了、おめでとうございます。みなさんがなされた大いなる努力と研鑽を、京都教育大学を代表して讃えたいと思います。
 皆さんがここに到るまでにはご家族をはじめ、周囲の方々の温かな応援があったことと存じます。これまで永く皆さんを見守り、支えてこられた方々に、学長として、改めて深い感謝の意を表したいと思います。
 また、連合参加大学・連携機関からは、連合教職実践研究科の修了生を祝福すべく、来賓の出席を賜っています。厚く感謝申し上げます。
 学部生の皆さんは4年前の入学式を覚えているでしょうか?皆さんが入学された2022年春、新型コロナウイルス感染症の第六波、オミクロン株流行のさなかにあって、式典は複数の教室に分散したオンライン配信となりました。
 その折、私は二つのことを申し上げました。
 一つは本学が「学問の最先端を究める研究」を重んじてきた歴史です。
 教師は大学で修めた学問をすぐに、そして直接に用いて、教壇で教えます。学問は日進月歩であり、かつては先端的な成果だったmRNAやゲノム解析も、今や高校生物の教科書に並んでいます。こうした進化にしなやかに対応するためには、学生時代に最新の研究動向に触れた経験が大きな助けとなります。皆さんもこの4年間、また在学中に、未知が既知へと変わる知的な探究の愉しみを、一度は経験されたことと思います。
 もう一つは、「子どもに戻ってみませんか?」という呼びかけでした。英国の詩人ワーズワースの詩を引用して、子どもの純粋さを忘れず、子どもの視線で、子どもといっしょに感動できる、そんな大人、そんな先生になりませんか?と申し上げました。また、子どものように、かなわないかもしれない夢を描き、ときには全速力で走ってみませんか?周囲を無条件に信頼し、やりたいことを思い切りやってみませんか?とも申し上げました。自由な大学生活のなかで、それは幾分なりとも実行できたでしょうか。
 心理学者のエリク・H・エリクソンは著書『アイデンティティ 青年と危機』(1968年)のなかでこう述べています。子どもは「余剰エネルギーを自由に使える状態で所有しており、そのために多くの失敗をかなり早く忘れることができ、望ましいと思われることに向かって、衰えることのない熱意(中略)で、接近してゆくことができる」(p. 134)。
 エリクソンの言葉をふたたび借りれば、子どもは「もっぱら両親だけに完全に『同一化』し」(中略)「子どもの目にその両親は、ほとんどの場合、力強く美しい存在として映って」います。両親をモデルに、子どもは自己に疑いを持たず、成長していきます。
 しかし、青年期になると、私たちはそれまで両親をモデルに「形成されてきたさまざまな自己像」を取捨選択し、統合された「全体的な自己の感覚」、すなわちアイデンティティを確立しようとします(白井利明・杉村和美『アイデンティティ 時間と関係を生きる』、p. 85)。「親との同一化を問い直し、未来に向けて組み換え」(同p. 66)て、自分は何者なのかを模索します。自分らしくあるために、どのような職業を選び、どのような人生を歩んでいくべきか、皆さんも在学中に思い悩んだのではないでしょうか。
 私たちは、家族以外の理想とするリーダーと同一化してその長所を取り入れようとしたり、志をともにする同世代の仲間と同一化したりして、この「アイデンティティの危機」を乗り越えます。皆さんも優れた研究者や思想家、芸術家やアスリートに憧れ、同級生と互いの胸の裡を語り合ったのではないでしょうか。そうすることで、皆さんは自分らしい理想や価値観を、自らの意志で選びとられたのです。
 教師の道を選んだ皆さんは、教育の理想を追求することで、自らのアイデンティティを確立しようとされているはずです。すでに現職教員である大学院修了生や専攻科修了生の方は、教師としてのアイデンティティをさらに磨き上げていこう、と決意されていると思います。卒業・修了に臨む、皆さんの真摯な眼差しから、熱い思いが伝わってきます。
 その尊い初志を尊重した上で、人生の先達として一つ申し上げたいと思うことがあります。
 私たちは、つい偏差値などの数値で一面的に評価されることに慣れてしまい、「何か一つの分野で一流であること」を絶対視しがちです。しかし、たとえば教師であれば、授業が一流なのか、生徒対応が一流なのか、学校運営が一流なのか。どの一流を目指すのですか、と尋ねたくなります。
 中国の三国志時代の人、劉劭(りゅうしょう)が書いた『人物志』に、実に示唆に富んだ指摘があります。第七巻「接識(ひとをしる)」はこう記しています。「一流一派の材」(つまり、一つの分野で一流の人材)は「互いに非難しあい、一致して是とするようなことはない」。一方、「二つの専門を持つ人は二つの分野における優点(優れた点)を評価することができる」(多田狷介『中国逍遙』、p. 178)。
 アイデンティティにこだわって一つの分野で一流を誇るより、二つ以上のことをマルチにやれるほうがよいという訳です。
 近年、能楽師の安田登さんがこの『人物志』を基に、『三流のすすめ』という著書を刊行されました。安田さんはこう語ります。「三流の本来の意味は『いろいろなことをする人』です」(p. 2)。「三流じゃないと、動かないことも多い。そのことに気づいていただきたい」(p. 3)。
 ちなみに、私はイギリス文学者であり、演劇評論家であり、そして学長でもあります。自らを「一流」と呼ぶのは憚られますが、この「三流」を実践してきたことで、人生が豊かになったと実感しています。
 これから社会に出る皆さんに提案します。授業、生徒指導、学校運営、そのすべてに心を配れる「三流の教員」を目指してみませんか。あるいは職場、家庭、地域という複数の場で役割を果たす「三流の市民」として歩んでみるのはどうでしょうか。
 なにも、手を抜けと言うのではありません。とくに教師は自分の目の前の子どもたちを近視眼的に、必死に見つめがちです。三流を心がけて広い視野を保つことが、永い目でみれば皆さんをより大きく成長させるはずです。

 本日、皆さんは、学業を全うされて、京都教育大学を巣立たれます。私たちは、さらなる成長を期待して、皆さんを送り出します。本学で学ばれたことに誇りをもって、さあ、新たな一歩を踏み出してください。


    令和8年3月25日

                              京都教育大学長  太田 耕人

 [付記]エリク・H・エリクソン『アイデンティティ 青年と危機』(中島由恵訳、新曜社、2017年)、白井利明・杉村和美『アイデンティティ 時間と関係を生きる』(新曜社、2022年)、多田狷介『中国逍遙―「中論」・「人物志」訳注他―』(汲古選書68、汲古書院、2014年)、安田登『三流のすすめ』(ミシマ社、2021年)から引用させていただきました。引用箇所のページ数は文中に記しました。茲に記し厚く御礼申し上げます。なお、2022年入学式で引用したWilliam Wordsworth (1770-1850)の作品は、 "My heart leaps up when I behold"で始まる詩で、「虹」 "The Rainbow"という題でも知られています。