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京教大から世界へ!①~2023パリ世界パラ陸上日本代表 三本木優也さん(数学領域専攻4回生(2023年当時))~
紹介
三本木優也さん(数学領域専攻4回生)
京都府綾部市出身。
生まれてくる時、両腕の神経を損傷し、機能障害を負う。小学校5年生から陸上を始め、中学2年生の時に府大会(一般の部)100㍍で3位に入賞。腕を後ろに振れないために独特の走りで地元では有名。高校3年生の時にパラ陸上へ挑戦し、2021東京パラリンピック開催と同3月、世界パラ陸連(WPA)公認大会で上肢障害では最も障害が重いT45クラスの日本新を記録し、その後も記録の更新を続けている。はじめに
本学の数学領域専攻には、アスリートとして世界の高みを目指しながら、数学教員免許の取得に向けて日々努力を続けている学生がいます。
そして、2023年7月にフランスで開催された2023パリ世界パラ陸上競技大会ではT47男子100m日本代表選手に選ばれ、団体リレーでは金メダルを獲得しました。
今回は学長補佐(広報担当)が陸上競技部顧問で体育学科の小山宏之准教授と一緒に、パリ2024パラリンピックに挑む彼の素顔に迫りました!2023パリ世界パラ陸上競技大会
インタビュアー(以降I):2023パリ世界パラ陸上競技大会への出場、お疲れ様でした。
今回、はじめて「日本代表」として世界パラ陸上に出場されたわけですが、出場が決まった時のお気持ちをお聞かせください。素直に嬉しかったです。そして選ばれてホッとしました。代表の発表の日が5月の中旬から下旬としか知らされていなかったので、いつなのかなとずっと待っていて、実際に発表されたのは副免実習の期間中でした。実習校から帰るときに代表に選ばれたことがわかって、すごくうれしかったです。
小山先生(以降K):日本代表になるための選考基準や、それまでの経緯を教えてもらえますか。
選考される一つ目の条件として、世界パラ陸上の標準記録(※)と、日本が派遣を決める標準記録を突破しているかどうかになります。もう一つの条件は、2023年4月30日に開催された日本選手権の着順です。僕は、標準記録はクリアしていたのですが、日本選手権の着順が2着だったので内定を逃して代表選考を待っている状態でした。そのこともあって、選ばれた時にはすごくホッとしました。
(※標準記録:当該競技大会への出場、参加が認められる基準の記録)I:日本代表ということを意識し始めた時期はいつ頃からでしょうか。また、そのきっかけを教えてください。
日本代表を意識し始めたのは、高校3年生にパラ陸上を始めてすぐぐらいです。その年(2019年)に、ドバイで世界パラ陸上があり、僕はその大会の標準記録を突破していましたが、標準記録以外の参加資格を満たしていなかったので、代表選考にかけてもらえない状態でした。
I : 標準記録以外の参加資格とはどのようなものなのでしょうか。
それは、自分の障がいに関する国際的なクラス分けを受けることです。僕は国内でのクラス分けは受けていて、様々な国内大会に出場していましたが、国内でどのような成績を出していても世界記録としては認められないルールになっています。
I:クラス分けを受けるために、具体的にどのように活動されたのでしょうか。
僕は、大学1回生の12月という中途半端な時期でしたが陸上部に入り、世界と勝負するため本格的に日本代表を目指し始めました。ただ、パラ陸上で国際的に活動するには、どこかの海外の試合に行って国際的なクラス分けを受ける必要があります。そのため、大学2回生の3月にドバイで開催された「ドバイグランプリ」という国際大会に、個人的に私費で参加しました。そこに行かないと記録も残らないですし、代表にもなれないので、もう行くしかないと思いました。
I:今回出場されたパリ世界パラ陸上のレースを迎えられた時のお気持ちはどのようなものがあったのでしょうか。
パラ陸上を始めた高3の「日本代表になりたい」という漠然とした目標から始まり、ようやくスタートラインに立てたなあという気持ちが。。。正直すごく長かったなと。4年間かかりました。
去年はコロナの影響で、あるはずだった神戸パラ世界陸上や、中国でのアジア大会はことごとく延期になり、ようやくチャンスが回ってきての出場だったので。K:スタートラインに立った時は、どのような感情でしたか?
すごくワクワクしました。僕は、緊張は全くしないタイプなんです。国内大会だと仲間や家族が出場しているから応援に来る人が多いんですけれど、今回のパリ会場のスタートラインに立つと、自分『三本木というアスリート』を観に来てくれている人とか、パラ陸上そのものを観戦している人など、いつもとはちょっと違う観られ方をしているのを感じました。
I:既にレースの結果は出ていますが、その結果を受けて、今どのように感じておられますか。
ずっと代表になることを目標にやってきたので、そこは良かったなと感じるんですけれど、実際に勝負してみて、まだまだ自分の力が足りなかったなというのが正直な感想です。
自分はもっと世界と勝負できると思っていましたが、自分の実力を発揮できなかったですし、発揮しても少し届きませんでした。よく聞く通り、世界で勝負するのは難しかったです。I:パリは、来年のオリンピック、パラリンピックの開催地でもありますが、国際大会の舞台はこれまで出場されてきた数多くの競技会とは何か違うものがありましたか?
会場の雰囲気、盛り上がり方が全然違うというか。スタンドにはパラ陸上を観たいと思っている大勢の観客がいて、しかも、それが世界中から集まっているというのを感じ、それだけで気分が勝手に上がっていきました。 子どもたちもたくさん観に来ていましたし、全然知らない子どもたちが僕の名前を叫んでくれたりしました。
I:国際大会の場で、様々な国の選手やスタッフの方々と場と時を共有することを通して、自身の気持ちや考え方、価値観に変化や影響はありましたか。
僕は、子供の頃から障がいを隠して生きてきたところがあって、最近ようやくこうやって公表できるようになりましたが、世界の選手を見ていると、失ったものをわざわざ隠すのではなくて、それを最大限生かして勝負しています。やっぱり、障がいに対する向き合い方をもっと意識していかなければいけないなというのを今回感じて、残されたものを最大限活かすためには、隠さずにさらけ出すというか、そうしていかないといけないと、考え方が変わりました。
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