-
入学式告辞
2024年度 入学式告辞
新入生を歓待しようと、桜が咲き誇っています。
ご入学おめでとうございます。京都教育大学の全教職員、全学生を代表して、みなさんを歓迎します。
また、これまで新入生を温かく見守り、支えてこられた保護者の方々に、心よりのお慶びとお祝いを申し上げます。
この晴れの日、教育学部325名、大学院連合教職実践研究科87名、特別支援教育特別専攻科12名、総勢424名の入学生がこの式典の場に集っています。本学に入学して、今みなさんは希望に胸を膨らませておられることでしょう。受験の重圧を脱して、これからは思う存分自らの学術的な興味を追究したい。そう望んでおられるのではないでしょうか。
ただし、学問は単なる知識の集積でもなく、学術業績を挙げる競争でもありません。
学問とは学術的成果を目指して研鑽し、それを通して本物の知性を鍛えることだと、私は考えています――これは、誰にとっても一生かかる仕事です。大学や大学院にいる間に自らの進む方向を少しでも見通し、基礎らしきものをちょっとでも構えられれば、理想的と言ってよいでしょう。私の学問はいまだ甚だ未熟ですが、来し方を振り返ると、この大仕事はその人の生き方と重なる、あるいはほとんど同一視できるもののように思えます。ここから少し話は遠回りあるいは寄り道をしますが、すこし辛抱してお聞きください。
『君たちはどう生きるか』
こんな題名の本が、1937年(昭和12年)に出版されました。盧溝橋事件が起こり、8年間にわたるあの戦争が始まった年です。言論の自由が制限されるなか、次代を背負うべき少年少女に、自由で豊かな文化があることを伝えておかねばならないという思いから、吉野源三郎が執筆しました。近年、漫画化されて話題になったので知っている人もいるかもしれません。
コペル君という、お父さんを喪った少年がおじさんとのやりとりのなかで、人間のありようを考え、成長してゆく物語です。コペル君はおじさんと行った銀座のデパートの屋上から、真下を見下ろします。カブトムシのように見える自動車が無数に行き来しています。霧の中にかすむ冬の海のような大都会を見ながら、どこまでも続く屋根の下にも、自動車の中にもちっぽけな人間がうごめいている、そして自分もそのなかの一人なのだ、と少年は気づきます。自分はいわば分子のようなもので、その分子が網目のようにつながって、人間社会ができている。そう考えるのです。
昨年、まったく同じ題名の映画が封切られました。宮崎駿原作・監督・脚本になるジブリ作品で、アカデミー賞で長編アニメーション賞を受けました。では、この本が原作かというと、じつはそうとは言えません。
眞人という、母を失くした少年が主人公です。眞人が母の実家である大きな屋敷で、いまは廃墟になっている塔から異世界に入り、そこで成長し、帰還する物語です。亡くなった母が、先ほどの書籍『君たちはどう生きるか』を大きくなった眞人のために残しておいてくれて、それを眞人が読む場面があります。直接の言及はそこだけなのですが、共通点が何もないわけではありません。
一つは、本も映画も親を亡くした少年の成長物語であるという点。もう一つは、少年が人間がつながってできている社会を意識し、そこで生きていこうと決意を固める点です。映画の少年は、異世界の創造主である大叔父から後継者にと望まれますが、それを拒み、自分の世界に戻ると言い切ります。「殺し合い奪い合うおろかな世界にもどるというのかね」と問う大叔父に答えて言います。「友だちをつくります」。母を失くして殻に閉じこもっていた少年が成長し、人とつながって社会で生きていく決意をしたのです。
宮崎監督は同じタイトルで、どうしてこれほど異なる物語を紡ぎ出したのでしょう。じつは、かつて脚本を担当した『耳をすませば』という映画でも、柊あおいの原作漫画とは、かなり異なる設定を盛り込んだことがありました。
何かの物語に触発されて、監督のなかのクリエイティヴィティがいったん動き出すと、それは独りでにあるべき方向へ走ってしまうのではないか。そう私は考えています。それは多くの芸術家にも起こることだからです。
原作という権威をそのまま受け入れるのではなく、差し出されたものを検証し、自分なりに修正し、拡張する。これが本物の知性のありようであり、新入生のみなさんにぜひ身に着けてほしい資質なのです。ずいぶん遠回りをしましたが、ようやく私の言いたい論点にもどることができました。たとえば授業で、ある定説や定理を教わる。それを疑ったり、変形してみたりして、ほかの可能性を考える。そうした精神をもつことが、本物の知性を陶冶することにつながるのです。とはいえ、数学のような絶対的真理を備えた定理の場合には、自分の考えが入る余地などなさそうです。ところが、じつはそうでもないと思える逸話を一つご紹介します。
直角三角形の斜辺の長さの二乗は、他の二辺それぞれの長さの二乗の和と等しい。こんな公式を習ったことがあるはずです。正方形をつかって証明をやってみた人もいるかもしれません。式で書けば、x²+y²=z²。そうピュタゴラスの定理です。
17世紀のフランスに、数学を趣味にしているお役人がいました。紀元前3世紀頃のギリシアの数学者ディオファントスの書いた大著『算術』のラテン語訳を読み進めて、問題と解答を研究するのが楽しみでした。ある日、ピュタゴラスの定理と、x²+y²=z²を満たす三つの組数を記した部分に至ります。x²+y²=z²を満たす数がじつに多様で、無限に存在することに感激したとき、ある考えが閃きました。
「ピュタゴラスの方程式に似てはいるけれども、一つも解がない方程式」(p. 116)があるのではないか。x²+y²=z²の指数を2から3、つまり三乗に替えてみると、x, y, zを満たす解がない。さらに四乗、五乗としてもやはり解はみつかりません。
ピュタゴラスの方程式で指数が3以上のとき解はない、そう彼は結論づけます。そして、読んでいた『算術』の余白にこう書きつけます。「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに書きつけることはできない」(p. 118)。
彼の名はピエール・ド・フェルマー。これが名高いフェルマーの最終定理です。この定理はそれから350年間、数学者を魅了し、悩ませます。ついに1994年、プリンストン大学のアンドリュー・ワイルズによって最終的に証明されるのですが、なにより私が言いたいのは、このフェルマーの着眼の鋭さです。
ピュタゴラスの定理の方程式x²+y²=z²を知って、その指数を変えてみたら、という発想をした人はそれまで2000年以上、誰もいなかったのです。みなさんもピュタゴラスの定理を学校で勉強したでしょうが、こうしたことを考えたひとはいなかったと思います。
学校で習うこと、本に書いてあることを私たちは理解し、場合によっては暗記しようとします。テストで点数をとるには、ピュタゴラスの定理を証明できなくても、公式を暗記すれば、正しい解答が得られるからです。しかし、それは本物の知性を養う学習でしょうか。
むしろ、定説として差し出されたものを、ああでもないこうでもないと自分なりに検証し、時には疑ることで発見が生まれ、知性が鍛えられるのです。いま出したフェルマーの例はその最たるものですが、学問のさまざまな分野で研究者たちは同様のことを経験しています。大切なのは、たとえ発見に至らずとも―実際、発見が起こることなどほとんどないのです―その思考の過程でほんとうの意味での知性が培われるということです。
大学の授業のレポートでは、教わったことをそのまま要約し記述したのでは評価されません。習ったことを検証し、修正し、拡張し、ときにはそこから逸れて、自分の考えを示すことが称えられます。新入生のみなさんには、本物の知性を鍛える、そうした姿勢を身に着けてほしい。いささか遠回しなお話を通じて私がお伝えしたかったのは、そのことなのです。現代社会は想像以上の速度で変容しています。教えられたことを理解するだけの学び、あるいは憶えるだけの従来の学びは、もはやもとめられていません。基礎的な考え方を理解するために記憶しなければならない情報はあるでしょう。しかし、今やほとんどのことはインターネット等を介して容易に入手できます。例えば、世界の国の名前や首都名を脈絡もなく憶えることに、そう意味があるとは、もう思えません。
これからの時代は、授業を材料に、子どもたちが創造的な発想を呈示し、それを基に議論をドライヴする。そうしたイノヴェーティヴな授業が、子ども主体に展開されることになるでしょう。この大学で、未来の教育はどうなっていくのか、自分は子どもとどのように向き合うべきなのか、考えてみませんか? 「子どもとどのように向き合うべきなのか」という問いには、決まった一つの正解はないでしょう。しかし、それを問うて、自分としての考えに至ることが、教員になる人には欠かせないと思うのです。たとえあなたの答えが、十年後にはもしかしたら不適切になるとしても。それを考えることによって、十年後の課題に対処する知性が鍛えられるのです。正解がないそうした問いに挑むことを許してくれるのが、大学という場所です。
今日から京都教育大学は、君たちの大学です。今日から始まる新しい生活は、まだ何も記されていない真っ白なページです。この深草の地で、存分に学び、長い射程で物事を見つめてください。それがあなたの生きる礎をつくります。その先にあなたの人生があります。
さあ、新たな一歩を踏み出しましょう。令和6年4月8日
京都教育大学長 太田 耕人〔付記〕
以下の書籍を参照し、引用については引用箇所のページ数を文中に記しました。吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫、1982年)、サイモン・シン『フェルマーの最終定理』(青木薫訳、新潮文庫、2006年)。
また、映画『君たちはどう生きるか』(宮崎駿原作・監督・脚本、スタジオジブリ、2023年7月公開)に関しては、上映された映画及び『フイルムコミック 君たちはどう生きるか』(上)(下)(徳間書店、2023年)を参照し、『耳をすませば』についてはWikipediaの「耳をすませば」の項目を参考にしました。 https://ja.wikipedia.org/wiki/耳をすませば(参照 2024-4-7)。
〒612-8522 京都市伏見区深草藤森町1番地 TEL 075-644-8106
Copyright © 2016 Kyoto University of Education.All rights reserved.