-
入学式告辞
2023年度 入学式告辞
京都教育大学に入学された新入生の皆さん、おめでとうございます。また、これまで温かく新入生を見守り、支えてこられた保護者、ご家族の方々に、心からのお慶びとお祝いを申し上げます。
この晴れの日、教育学部329名、大学院連合教職実践研究科84名、特別支援教育特別専攻科14名、総勢427名の新入生がこの場に集っています。新型コロナウイルス感染症が一定の収まりをみせ、こうして一堂に会した入学式が4年ぶりに執り行えることを、心より喜びたいと存じます。
本日、歴史ある京都教育大学に、皆さんは入学されました。本学の前身である京都府師範学校は、京都大学の前身、京都帝国大学に先立つこと21年、明治9年に創立されました。今から147年前のことでした。その後、女子師範学校の開設や、戦時下のさまざまな変遷を経て、戦後の昭和24年、京都学芸大学となりました。昭和41年、現在の名称に変更されたのが本学です。
――さあ、入学したぞ。どんなことをしようか。
皆さんは期待に胸をふくらませておられることでしょう。最近の新入生は時間を効率的に使って、なるべく多く単位を取り、できるだけ多くの免許を取ろうとする傾向があるようです。そういえば、コスパならぬ「タイパ」(タイムパフォーマンス=時間対効果)が昨年は流行語大賞に選ばれました。タイパよく多くの単位を集めることが、将来の就職という目的を達成するための「道具」になっていないか。憂慮する気持ちが、幾らか私にはあります。「タイパ」という言葉を知らしめたのは、稲田豊史氏のベストセラー『映画を早送りで観る人たち』でした。Netflix等の定額サービスが普及し、視聴可能な映像コンテンツが飛躍的に増加しました。その結果、とくに二十代の人たちが友人との話題に乗り遅れないよう、大量の映画を早送りでチェックするようになった、と著者は分析します。contentsという語には「内容」だけでなく「容量」の意味もあり、量的な消費を示唆する、という指摘もされています(p. 26)。
その映画を見るかどうか決めるために、早送りで確認作業をすることを、私は否定はしません。同書には、良いと判断した映像作品は通常の速度で「鑑賞」する、と証言する早送りユーザーが出てきます。私たち研究者が何冊もの本を飛ばし読みして、これぞと思った書籍をじっくり読むのと、これは同じ方法です。ただし、どの作品も見なければならないことが決まっているときは、このやり方には意味がありません。
大学の講義を十全に理解するためには、受講前後に多少とも下調べや振り返りをして、じっくり取り組むことが肝要です。それをせずに、多数の講義を効率よく(?)次々と詰め込むのは、早送りで映画をチェックするのに似ています。内容をちゃんと汲みとったつもりでも重要なことが抜け落ちていたり、受け取った情報を十分咀嚼できていなかったりするかもしれません。だいいち、映画をチェックして選別するのと違って、この単位はいる、この単位はいらないと、より分けるわけにはいきません。大半が必要な単位のはずです。また、その時点では不要と思っても、何年も経ってから重要性が分かることもあります。
学部の新入生のなかには、3、4回生になってゆっくりしたいから、今のうちに単位を取る、という人もいるかもしれません。しかし、1、2回生で節約して生み出した時間は、上回生になってほんとうに有意義に使われるのでしょうか。将来を心配して、タイパに励んで時間を残すよりも、〈今―ここ〉で充実した時間を生きるべきではないでしょうか。余裕をもって、学問的眼差しをもう少し深いところまで届かせ、友と語らい、音楽や読書に浸るのもひとつのあり方ではないでしょうか。
ドイツの作家ミヒャエル・エンデに、日本でもよく知られた『モモ』(1973年)という物語があります。この物語で作者が発したのが、まさにこうした時間についてのメッセージでした。
とある都会のはずれに円形劇場の廃墟があります。そこに不思議な少女モモが棲みつきます。モモには相手の話を聞く特別な「才能」がありました。彼女に話を聞いてもらった町の人たちは、自らの価値を再発見したり、自分の過ちに気づいたりして、温かい気持ちになり、ゆたかな人生を取り戻します。
ところが、やがて、灰色の男たちが現れます。彼らは時間貯蓄銀行の外交員だと名乗り、圧倒的な数字をあげて、人々が時間を浪費していると決めつけます。そうしておいて、時間を節約して時間貯蓄銀行に預ければ、二倍に増えると騙します。床屋のフージー氏は灰色の男を信じて時間を節約します。何がおこったか。エンデはこう叙述しています。
「フージー氏はだんだんとおこりっぽい、おちつきのない人になってきました。(中略)倹約した時間は、じっさい、手もとにすこしものこりませんでした。魔法のようにあとかたもなく消えてなくなってしまうのです」(pp. 101-102)。
私たちがタイパに励んで節約した時間は、ほんとうに残るのでしょうか。急げ急げ、効率よく、という気持ちに拍車がかかって、加速度的に忙しくなるのではないのでしょうか。早く効率よく目的に到達することよりも、むしろ、〈今―ここ〉にある時間こそが尊いのではないでしょうか。
モモの親友に、ベッポという老人の道路掃除夫がいます。「とっても長い道路」の清掃を受け持ったときのことを、ベッポはこんなふうに語ります。
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸(いき)のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。(中略)するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。」(p. 53)
道路を最後まで掃き切った瞬間、すなわち目的の達成を考えてしまうと、その人は意識の上では、〈今―ここ〉ではなく、〈いつか―あそこ〉にいることになります。心理学者の河合俊雄氏はこう説いています。先のことを考えると、「『ここ』にいないから『今』がつまらなく、むなしく感じるのです」(河合俊雄『ミヒャエル・エンデ モモ』、p. 28)。
河合氏はベッポが体現した充実した瞬間瞬間を、真木悠介氏の時間論を引いて、「現時充足的(コンサマトリー)な時」と呼びました(上掲書、p. 29)。 "consummatory"はもともと「完成した」「やりきった」を意味し、社会学者のタルコット・パーソンズが、それを「自己充足的な」という意味で用いたのでした。
目的の効率的な達成をいたずらに期すのではなく、〈今―ここ〉で、時間の経つのも忘れて何事かに没頭すること。勉学や課外活動などで、そんな自己充足的な、コンサマトリーな時間を、皆さんにはぜひ味わってほしいと思います。
その結果、もしかすると、たくさん単位を取ることはできなくなるかもしれません。しかし、充足した時間を過ごしたことは、深く大きな知見をあなたに授けてくれることでしょう。その深さや大きさを、もし分量に換算できるとすれば、どれほど多くの単位をとったとしても釣り合わないだろうと思います。そんなコンサマトリーな時を見つける旅を、今日から始めようではありませんか。
最後に、皆さんに短い詩をご紹介します。京都市の高校で教員をされていた詩人の山本純子さんが、先月、季節ごとの小学校の風景を題材にした詩集を出されました。その「はる」の項目に収められた一篇です。
えんぴつ
えんぴつけずりで
しんぴんの えんぴつを
けずるとき
どれくらい けずれたかな
って とちゅうで なんどか みる
だいぶん けずれて
さきっぽが ほそくなって
あとちょっとで しんが でるぞ
って かんじの えんぴつ
すきだな
なにか はじめよう
って おもってて
なににするか まだ きめていない
わたしみたいで
(山本純子『カレンダー―学校のはる・なつ・あき・ふゆ』、p. 9)
「なににするか、わたしはもう決めています。わたしは教員になります。」そうあなたは言うかもしれません。しかし、それは将来の職業を決めたにすぎません。大切なのは、どんな先生に、どんな大人に、どんな人間になるか、ということです。
なりたい自分になるために、今、皆さんは、「なにか はじめよう/って」思っておられるのではないでしょうか。その「なりたい自分」が、正解かどうかはまだ分かりません。それが正解かどうか、あなたは問い続けるしかありません。それが若さの特権であり、大学はそれを許す自由な場です。
何かを始めて、そしてもしそれが為すに値すると分かったら、躊躇うことなく、充実した瞬間瞬間を積み重ねてください。後からふり返ったとき、それは間違いなく、あなたの人生のかけがえのない1ページになります。
まだ何者でもなく、これから何者にでもなれるあなた。さあ、新しい世界に新たな一歩を踏み出してください。
令和5年4月7日
京都教育大学長 太田 耕人〔付記〕
ミヒャエル・エンデ『モモ』(大島かおり訳、岩波少年文庫、2005年)、河合俊雄『ミヒャエル・エンデ モモ』(100分de名著、NHK出版、2020年)、稲田豊史『映画を早送りで観る人たち』(光文社新書、2022年)を参考にさせていただきました。引用箇所に記したのはこれらの書籍のページです(「コンサマトリーな時」については、真木悠介『時間の比較社会学』(岩波現代文庫、2003年)、p. 213及び pp. 314-315参照)。
山本純子さんには、詩集『カレンダー―学校のはる・なつ・あき・ふゆ』(仮説社、2023年)から、詩を一篇まるごと引用するお許しをいただきました。茲に記して厚く感謝申し上げます。
〒612-8522 京都市伏見区深草藤森町1番地 TEL 075-644-8106
Copyright © 2016 Kyoto University of Education.All rights reserved.