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入学式告辞
2022年度 入学式告辞
京都教育大学に入学された新入生のみなさん、おめでとうございます。
また、これまで温かく新入生を見守り、支えてこられた保護者、ご家族の方々に、心よりのお慶びとお祝いを申し上げます。
新型コロナウイルス感染防止対策のため、残念ながら幾つもの教室に分散したかたちとなりましたが、本日の式には、教育学部新入生327名、大学院連合教職実践研究科新入生75名、特別支援教育特別専攻科新入生12名、総勢414名が集っています。
みなさんは本日、歴史ある京都教育大学の一員になられました。本学の前身、京都府師範学校は今から146年前、明治9年に創設された、日本で最も古い教員養成機関の一つです。首都が移転した後の京都で、京都帝国大学に20年以上先立って開校し、欧米の科学技術を初め、最新の学問を導入する受け皿になりました。本学は教員を養成すると同時に、学問の最先端を究める研究を重んじてきましたが、それは創立以来の伝統といってよいでしょう。
残念なことに、最近になって、学問研究は総合大学に任せて、教育大学は教員養成に特化すべきだという、偏狭な主張を耳にするようになりました。知的な探究の面白さを知り、学問の奥深さに触れることが、大学での学びの核心です。しかも、教師は医師とならんで、大学での勉学が職業に直結する専門職です。大学で学んだ学問をすぐに、そして直接に用いて、教壇に立ちます。学問は日進月歩し、知識は驚くほど早く古びます。新たな学問成果や発見が、十年ごとに学習指導要領に採りいれられます。こうした進歩についていくには、大学時代に最新の研究動向に触れていることが大きな助けになります。そうした学問の最先端へ学生を導くため、大学は専門的な研究機能を備え、優秀な研究者を擁していなければなりません。高度な知識や技能を修めて、それを教室でしなやかに応用し、子どもたちを教える――そうした教員の養成を本学は心がけています。
私の若い知人に、一人の声楽家がいます。地方の高校から芸大に進学しましたが、ドイツリードやオペラのアリアなど、クラシックの歌曲を歌う個人レッスンが始まると、不満が嵩じてどうしようもなくなりました。将来、地元で学校の先生になると決めていたので、こんなにクラシックばかり練習して、何の役に立つのかと思ったのです。ある日、とうとう我慢しきれなくなった彼は、レッスンをしてくれる教授に「ボクは教師になってこんな歌を歌いたいのです!」と訴えて、「手のひらを太陽に」の楽譜を差し出しました。
教授は「手のひらを太陽に」の練習をしてくださったそうです。そして、この曲は単純明快な旋律で歌いやすいと思うかもしれないが、こういう曲をうまく歌えるようになるには、複雑な曲を学んでしっかり技術を身につけなければならない、と諭されたそうです。素直に彼はそれを信じ、今では日本を代表するバリトン歌手として活躍するとともに、培った高い技術を大学生や児童の指導に活かしています。
高度な知識や技術、深い学問的知見を獲得することには、苦労を贖うだけの喜びがあります。勉強が進むと、分からなかったことが次第に分かってゆく愉しみがあり、一つのことが解明できたとたん、急に視界が開けるような素晴らしい体験もすることがあります。そうした経験をした人が、子どもに勉強の楽しさを伝えることに、大きな意味があると思います。
さて、教師をめざす君たちに、思い切って提案したいことがあります。ときに「子どもに戻ってみる」ということです。
イギリスのロマン派の詩人、ワーズワースに "The Child is father of the Man." 「子どもは大人の父である」、という知られた詩句があります。「私の心は躍る、空の虹を見るとき」("My heart leaps up when I behold | A rainbow in the sky:")と始まる詩の一行です。「子どもは大人の父である」は、素直に読めば論理が逆立ちしています。普通なら、「大人が子どもの父」となるはずです。
しかし、「子ども時代の自分から、いまの大人の自分が生まれた」、と考えてみてはどうでしょうか。虹を見た喜びを歌う詩の中で、この詩行はこんなふうに読むことができます。「子どものころの無垢な心は、なくしたと思っていても、じつは大人の裡にのこっている。そのおかげで、大人になっても子どものように純粋な気持ちで、虹のすばらしさに心を躍らせることができる」という解釈です。大人の自分の中の純粋な、最も上等な部分は、子ども時代の自分でできている、と言い換えてもよいかもしれません。
子どもの純粋さを忘れず、子どもの気持ちになって、子どもの視線でものごとを見られる。ちゃんとした大人、そして教師になるうえで、これはとても大切なことです。このことを念頭に置いて、みなさんに問いかけたいと思います。
子どもに戻ってみませんか?
虹のうつくしさだけでなく、空から落ちてくる雪の不思議さ、沈まんとする夕陽の鮮やかさ。そうしたことに、子どもといっしょに感動できる、そんな大人、そんな先生になれたら、とても素晴らしいことではないでしょうか。
子どもに戻ってみませんか?
大人は子どもに言います。「嘘をついてはいけない」、「けんかをしてはいけない」。それを大人は守っているでしょうか。社会では公文書が改ざんされ、戦争が起きています。子どもに言うことを自分は守れないなんて、大人はどうしようもありません。
子どもも、大人に言われたことを守っているわけではありません。嘘をつきます、けんかもします。守れるはずがない約束を、大人は子どもにおしつけているのでしょうか。
いえ、私はむしろこう思うのです。人間としてこうありたいという希望を大人は子どもに託し、子どもがそんな理想的な人間に育つことを祈っているのではないか。もしそうであれば、大人もまた理想に向けて努力しなければならないのではないでしょうか。少なくとも子どもは、嘘をついたら謝り、けんかをしたら相手と仲直りします。
子どもに戻ってみませんか?
子どもは小さな身体で元気にあふれ、日々新鮮な経験をします。戦禍のウクライナで、打ちひしがれた両親を幼い子どもが励ます光景が見かけられる、と聞きます。子どもは周囲の状況や大人の言うことに分からない部分があっても平気で、驚くほど確実に全体像をつかみます。物怖じしたり、怯えたりもしますが、それでも周りの大人を信頼し、まだ何も手に入れていない分、未来に希望をもっているように思えます。
3月14日、ウクライナ情勢に関する学長メッセージを大学ホームページに掲載しました。そこで私はこのように書きました。「教員の使命は子どもの成長を見守り、子どもたちの幸福に資することです。子どもが幸せな世界がどんな人にとっても望ましい場所であることを、いったい誰が否定できるでしょうか。」
子どもだったことがない大人はいません。子どものときを思い出して、もう一度子どもに戻ってみたとき、私たちは今、幸せな世界に生きているでしょうか。
「子どもに戻ってみませんか」という問いかけは、じつは何十年も前から私の胸にあって、今まで口にすることができなかったものでした。あまりに素朴な考えであることを、恥じずにはいられなかったのです。「子どもに戻って考える」ことには、状況を単純化しすぎる危うさがあります。いま私たちを取り巻いている状況が、複雑極まりないものであることは言うまでもありません。しかし、それだからこそ、単純化の危険性をわきまえた上で、ときに子どもに戻ることは、世界をまっすぐ見つめ直す契機になると思うのです。
明るい陽光が差し、桜が咲き誇る季節が巡ってきました。しかし、新型コロナウイルス感染症で閉塞した日常、終熄しないウクライナの戦火、それにともなう社会不安など、心はずむ気分にはなかなかなれません。こうしたときだからこそ、改めて新入生のみなさんに、思い切って問いかけます。
子どもに戻ってみませんか?
かなわないかもしれない夢を描いてみませんか。ときには全速力で走ってみませんか。周りの人たちを無条件に信頼してみませんか。やりたいことを思い切りやってみませんか。
大学は自由な学問の場です。正解がない問いにあえて挑むことが学生の特権であり、大学はそれができる場所です。楽しいこともあれば、悩むこともあるでしょう。しかし、今日からの学生生活は、後になってふり返れば、まちがいなく、かけがえのない人生の1ページになります。存分に学び、さまざまなことを感じ、のびのび成長してください。
さあ、あなた自身の人生へ、新たな一歩を踏み出してください。
令和4年4月7日
京都教育大学長 太田 耕人[付記]引用したWilliam Wordsworth (1770-1850)の詩(1802年3月26日執筆、1807年刊)は、「虹」"The Rainbow"という題でも知られています。原文と私訳を記します。
My heart leaps up when I behold わたしの心は躍る、
A Rainbow in the sky: 空に虹をみるとき。
So was it when my life began; 幼い日もそうだった、
So is it now I am a Man; 大人になった今もそう、
So be it when I shall grow old, 老いてもやはりそうありたい。
Or let me die! そうでないなら、死ぬほうがいい。
The Child is Father of the Man; 子どもは大人の父なのです。
And I could wish my days to be 願わくば、自然への敬虔な思いをもって、
Bound each to each by natural piety. わたしの日々が継がれていきますように。
―William Wordsworth, edited by Stephen Gill, Oxford University Press, 1984.
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