ご挨拶

『 子どもも大人も
あたかも「森」を散策するように、
たのしく「まなび」について知ることができる
そんな場所にしようと、「まなびの森ミュージアム」は名づけられました。』

 私たちの大学は、1876 年(明治9年)に創立された京都府師範学校にはじまり、そのころからの教材、教具、芸術作品などをたくさん保有しています。近代日本の学校教育の変遷を映し、135 年にわたる本学の歴史をうかがわせる資料です。
 2011 年(平成 23 年)8月、教育資料館が発足し、資料を整理して学術研究や学校教育、社会教育に役立てることになりました。その資料を公開するためにつくられたのが、教育資料館「まなびの森ミュージアム」です。

 たとえば明治時代の理科の授業では、どんな実験器具を使っていたのでしょうか?私たちのミュージアムにきていただければ、実物をご覧いただけます。めずらしい外国の楽器、エジプトのミイラの一部も展示しています。また本学がどのような歴史を経てきたかについても、資料をそろえています。

 陳列されている資料だけが歴史を伝えるわけではありません。いま京都教育大学がある地には、かつて陸軍第 19 旅団がありました。教育資料館「まなびの森ミュージアム」は、その司令部の建物を利用しています。1957 年(昭和 32 年)、本学の前身である京都学芸大学が移転してきてからは、学長室や職員会館として用いられていました。今回、老朽化した建物を改修するとともに、できるかぎりの調査をおこない、創建当時のすがたに復元しました。
 ここに軍隊があり、不幸な戦争の時代があった。そのことを思い返していただく、よすがとなればと思います。

 生まれたばかりのミュージアムですが、資料を展示するだけでなく、さまざまな企画やイベントをとおして、みなさんに「まなび」の場を提供していこうと考えています。
ご来館を心よりお待ち申し上げます。

平成 21 年 11 月
京都教育大学 教育資料館
まなびの森ミュージアム

沿革

明治9(1876)年5月
京都府師範学校が創立された

明治41(1908)年4月
京都府女子師範学校が独立された

昭和18(1943)年4月
京都師範学校とされた

昭和19(1944)年4月
京都青年師範学校が設立された

昭和24(1949)年5月
京都師範学校・京都青年師範学校をもとに京都学芸大学が設置された

昭和32(1957)年9月
深草藤森(現在地)に移転された

昭和41(1966)年4月
京都教育大学に名称が変更された

平成19(2007)年度〜平成20(2008)年度
研究棟の大規模改修工事が行われた

平成20(2008)年9月
教育博物館(仮称)設置検討WGが設置された

平成22(2010)年7月
教育資料館開設準備室が設置された

平成23(2011)年8月
教育資料館が設置された

平成23(2011)年11月12日
教育資料館まなびの森ミュージアムが開館された

建物

 教育資料館は、旧陸軍第 19 旅団司令部を改装した施設です。
 1897 年(明治 30 年)、現在の京都教育大学の場所に、第 19 旅団司令部、京都連隊区司令部、歩兵第 38 連隊がおかれました。1908 年(明治 41 年)には、これらを統括する第 16 師団もこの地にやってきて、のどかだった 深草の地は、軍事的な要地へとかわっていきました。1909 年(明治 42 年) 測量の二万分一地形図にも、この建物が「旅団」とみえています。現在、石川県金沢市の金沢城公園には、第 6 旅団司令部が残っていますが、これと本学のものとは瓜 2 つの外観をもっており、同じ規格で建てられたと考えられます。
 日中戦争が本格化するなか、第 16 師団は上海、南京へと転戦し、第19 旅団は第 19 歩兵団へ編成替えとなります。太平洋戦争で彼らがフィリピンへ移動すると、第 53 歩兵団がここにおかれましたが、これもビルマ( いまのミャンマー )へ出征してしまい、1945 年(昭和 20 年)には京都地区司令部が入って、終戦をむかえました。
 アメリカ軍の藤森キャンプとなったこの地に、京都教育大学の前身である京都学芸大学が移ってきたのは、1957 年(昭 和 32 年)のことです。その後、この建物は、学長室や職員会館として使われてきましたが、2010 年(平成 22 年)、大学 のあゆみや教材・教具・作品等の資料を展示する施設となり、学内の公募によって教育資料館「まなびの森ミュージアム」 という名称があたえられました。また、2013 年(平成 25 年)には、京都市から「京都を彩る建物や庭園」に認定されました。

展示室風景

シアター