泥だんごの謎

                                       元のページに戻る

                                         
 @謎の第一は何と言っても、「こういうことを子ども達が何故好きなのか?」でしょう。永遠の課題です。ほんとうのところはよく分からないのですが、ただ、少なくとも幼児については(小学生でも低学年なら似ているでしょうが)、ちょっとした誤解を解いておく必要があります。大人という人種は、とかく見た目にこだわりやすいものですから、よくできた光る泥だんごの形状や光具合に目を奪われ勝ちです。だから、なんとなく、子どももそうだろうと自分と同じように考えて、子どもだって「ああいうの作りたい」と思ってやっているはず、と考え勝ちです。「ああいうスゴイのを作りたい」、目標に向かってじぃっと集中して必死に努力して、そうやって作ってこそ!みたいに考えてしまうのです。(忍耐力が育つとか、集中力が育つとか、達成感を味わってとか、そういうイメージですね)。もちろん、そういう面もあるでしょう


。               
 
 しかし、こんな写真を見てください。はっきりいってただの土玉です。玉ですらなく、土のかたまり、でしょうか?こういうのでも、作っている子どもにとっては、どうしても手放せない、ちょうだいといっても絶対にくれないし、ましてや「こんなの捨てて作り直せば?」などと言っても聞き入れようとはしないのです。どうして?
 すごいのを作ろうとして、その目標意識でやっている!
 だけでは、ちょっと説明がつきませんね。
 私の考えについては、お暇なら、『教育心理学』と題したある本の中の一章中のコラムの一つ「ダーティな遊び」の拙文を参照してください。このページの後段に添付しておきます。

 A謎の第二は・・・・

   


 これらの光るだんご、いずれも完全に乾燥しています。そもそも、土というものは水に濡れているときに、その力で結びつきあって凝縮しますが、水分が無くなると、石(結晶体)や陶器ではないので凝集力は無くなるはずです。なのに、どうしてこういう凝集力を維持しているのでしょうか?うーむ、なぞですね。

 B第二の謎に関係していますが、こういう光る皮膜は、たとえば粉のような土に一平方センチあたり10トン(水深1万メートルのマリアナ海溝の水圧の10倍)の圧力をかけるとできるようです。次の写真は、電子顕微鏡で8000倍に拡大してみた表面の映像です。エックス線解析でも金属の表面のような結果が出るようです。

                

 そんなものを、どうして手でさするだけで作れるのでしょうか?うーむ、なぞですね。
 謎の秘密は水にある(制作中に、水が土を液体と固体の中間状体に変えている?)ように私は考えていますが、専門でないのでこれ以上は分かりません。


@の補足として・・・・
 以下は全くの余談です。 

<コラム:ダーティな遊び>
 旭川の男性保育者Yさんの話。夏、保育者も子どももズボンは短パンです。水遊びをすれば濡れる。そこで保育者も着替えをしようとする。子ども達がふざけて彼の短パンを取り上げる。「やーい、やーい」「こらー」とパンツ姿で追いかける。とっつかまえて短パンを取り返し、そこで「むっ?」と思いついたY氏、おもむろに取り返した短パンを逆にして頭にはいて(?)「ウサギ男だぞー」と言って追いかけ始めました。
 子ども達をとっつかまえてはその子のズボンを脱がし、頭の上につけさせる。これでまたウサギ男のできあがり。今度はその子と一緒になって「ウサギ男だぞう」と他の子を追いかける。こうしてどんどんウィルスみたいに「ウサギ男」が増えていく。保育室のあっちでもこっちでも、子ども達どうしズボンを脱がしあって「わー、わー、きゃー、きゃー」。
 以来、しばらくの間「ウサギ男鬼」がはやっていたそうですが「最近入園してきた子なんか、近づいただけで顔引きつらしとったね。びっくりして。はっっは。じきに慣れるけど、はじめはちょっと手加減してやらにゃいかん、かっかっか」とY氏談(加用文男著『子ども心と秋の空』ひとなる書房, P194)。
 全然タイプの違う、子どもの頃のヘンな経験ですが、転んで足などに大きなすり傷をしたのが治ってきて、直径が5,6センチもあるようなかさぶたができた!というようなとき、えらく嬉しかったですね。「こりゃあ、すげーぞ」って感じで。かさぶたはだんだん固まってきて乾いてくると、ぽりぽりと指で周囲を削りとれます。うまくやると正三角形などに整形(?)できるのです。国語、算数そっちのけで授業中「内職で」やっていました。自分の身体に「形」を作る、これがとてもいとおしい物に思えたものです。よい形(三角とか丸とか)ができると友達に「ほれ、これ」と見せたりして「すげー」と言ってもらえたら有頂天。数日後、だんだん治ってきて形が欠けていく、それが妙に悲しかった・・・・泥だんごの「いじりの美学」とこの「かさぶた芸術」はどこかでつながっているように思えます(加用文男『光れ!泥だんご』講談社, P.22)。
 お互いにズボンを脱がしあって大騒ぎする、かさぶたをいじって整形する(幼児がよくやる「鼻くそ丸め」もこれに近いでしょう)、普通の大人が顔を背けたくなるようなこういう遊びも子どもの遊び文化の重要な構成要素なのです。

 ということで・・・幼児の泥だんご遊びは身体遊びとしての「かさぶたいじり」に近いのではないか?という話でした。