美術教育教室

造形教育の理論と実践を研究します。子どもの絵など、造形表現の創造過程とその所産が主たる研究対象です。 子どもの感性や個性など心や精神的な成長・発達を重視し、造形教育がいかに貢献できるのか、教材と授業の分析・開発を通して検討しています。 命や自己の基底に立った人間教育の意義を考え、真の「実践」と「教師教育」がどうあればよいのかを問います。 教材は、その大事な証人のようなものです。 子供の個性にあった造形遊びや基本的な紙素材、新教材である光教材やCG映像教材まで、多様化する教材の系統化と評価法にトライします。また、発達の視点から、障害児・者のアート活動の支援をしています。

村田利裕

人が生まれてから、義務教育課程を終えた後も、生涯にわたって継続されるような美術教育のあり方や可能性を探っています。 このため、社会や学校のさまざまな場で行われている美術教育の諸場面を観察し、そこで起きていること(事象)の意味を丁寧に読み取ながら、「美術」「人間」「教育」の本質的な関係性を見直し、より豊かな場面づくりへの手立てとしたいと考えています。 子どもたちの表現の発生や展開の場面で起きる出来事や、学校で行われる美術教育の諸課題と共に、視覚障害がある人々と行う美術活動(表現・鑑賞)や、病院で行われたり生まれたりしているアート活動等にも関わりながら、これからの美術教育や美術の世界を切り開くための新しい種を育てています。
子どもたちが、学齢期を過ぎてからも美術の世界と豊かな繋がりを保ち続けることができるかどうかは、周囲のおとなが抱く「人間」と「美術」についての意識がどこまで開かれているかにかかっています。 学生のみなさんも、美術を通して人に伝えたいこと、人と共有したいことは何か、自らの内なる土壌を柔らかく肥やしてください。日野陽子

日野陽子

絵画研究室

この研究室の特徴は、学生がそれぞれの設定したテーマをいろいろなやり方で追及しているということだと思います。 もちろん絵画作品もありますが、立体的な作品や映像作品、過去には演劇や庭作りまで様々な仕事がありました。 このことは、必ずしも全てのジャンルが許されていることを意味しているのではありません。 前提として、自らを律する力を持つ自立した制作者であることが求められているのです。 要は、自分が制作する上で何を表現したいのかを、まずしっかりと考え、自分が研究するテーマを自分でさがすことだと思います。 いちど「自分の制作」をはじめることができると、それはこれから、ものをつくりつづけていくことにとって大きな力となります。 それはまた、自分が生きていく上での何かにもなるだろうと考えます。

彫塑研究室

彫刻の魅力は空間の中にいろいろな素材を使って立体表現できることです。 京都教育大学の彫刻研究室は3回生から学生がお互いに刺激し合いながら彫刻の制作に励み、専門を深めていきます。 研究室の人数は10名ぐらいなのでアットホームな雰囲気で学生生活を楽しんでいます。 この研究室では人体制作を中心に生命感ある人間像等の表現を追求していくことを一つの伝統としています。 また木・テラコッタ紙・セメント・石膏・樹脂等の素材を使い個性的な作品づくりも行います。 制作することで彫刻の技法や素材研究を深めると共に優れた造形感覚の習得を目指しています。

谷口淳一

デザイン研究室

デザインにおいて機能や美しさなどを目標とした場合、その目標に向かってゆく過程が存在します。 そしてデザインを進めてゆく過程には必ず<方法>があり、その<方法>を決定するのは<意識>です。 その<意識>と<方法>は自己と作品との<掛け橋>として、また作品と他者を結ぶ<掛け橋>として存在する二重性を持っています。 すなわち<意識>によって決定された<方法>の橋を掛けるか、掛けないかでデザインの出来、不出来が決まります。
以上が私の考えるデザインを指導する核となる部分です。こうしたデザインの核を鍛錬することで生命力のある作品を制作することが可能になります。 デザインは現在生きて活動している社会の中にあってこそ意義を持つものであり、それだけに社会の変化に応じて時代と共に需要も変わっていきます。 現在グラフィック・デザインの領域は印刷手段に限らず、映像、商空間や環境、都市や街を形成するデザイン計画など、ますます拡大していきます。 こうした中でいかに自己から作品、作品から他者への橋を掛けることができるかどうかが今後のデザインに厳しく問われていくことでしょう。

安江 勉

工芸研究室

工芸では陶芸の専任教員による授業を中心に、「ものづくり」について基礎から発展的な制作活動まで、腰を据えて段階的に学ぶことができるように設備とカリキュラム設けています。 素材や技法、理論に触れながら、総合的な「ものづくり」について探求していくことを目指します。 また、充実した木工・金工設備があるのも特徴の一つです。
工芸制作は、工程ごとの作業性が高く、また用途や素材・技法などの制約があるため、絵画や彫刻のように行為が直接的に表現につながるものではありません。 しかし、素材と格闘し、炎や泥にまみれて制作を行う緊張感や、完成した時の充実感は、なにものにも代えがたい感動があります。
各々の主体的な作品制作だけでなく、大学のイベントや付属学校の子供たちとのワークショップ、さらには公共の場での作品展開など、「ものづくり」通した活動の場をさらに充実したものにしていきたいと考えています。

丹下裕史

美学・美術史研究室

なんか研究室の看板がすごく広いですねー。おかしいでしょっていうくらい広大無辺です。
けれども理論と実践の往還は、料理をつくるにも仕事をするにも避けることができません。 いや、具体性を欠いては思考できず、思考を欠いた実践もまたありえない。 ならば、これこそが理想的な研究室の看板なのです...そ、そうだ、そうに違いないwww
ともかく、湯水のように時間と場所を浪費して(羨ましい)、彼ら彼女らが自由に制作したり考えたりしているのがこの研究室です。 そうしなければわからないことがある。 それこそが大学の、あるいは学生の、本質なのです。

山内朋樹

書道・書道教育研究室

文字を書くということはたとえ伝統性を主目的に書いたと場合でも書き手の個性というものは自然に表れる。 まして毛筆という用具はこのことをいっそ端的に表すことができる。ただ相手に伝達するために正しくと思って書いたものにそこに多少なりとも美しさを加えようと考えるのは人間として自然の発露であろう。 そして書かれた文字の中に美しさを見出し、また自ら書く文字にも美しさこめて書き表そうとすることは当然のことでこれを否定することはできない。
書道選考を設置している大学の多くが国文科の中に設置されているが、本学では前述の考えに基づいて書教育を芸術教育の一環として捉え美術科の中に設置している。 そして、中国と日本の書道文化を広範に研究し、その上に高度な専門的技術を取得することにより、良質な書教育の指導者を養成することに主目的を置いている。
京都は平安遷都以来1100年間我が国の政治、経済、文化の中心であった。 とりわけ芸術・文化における国宝重要文化財の数は日本一といってもよい。 書道の三筆三蹟もこの地を中心に活動し、多くの劇蹟もこの地で生まれ今日に伝えられていることは周知の事実である。 このように書道文化の宝庫である京都は脈々としてその土壌を今に伝えている。 その京都に在る本学は書教育を学ぶ者にとってもまたとない環境といえる。

岡田直樹