森鴎外の生い立ち

・鴎外は、1862年2月、石見国(島根県)津和野藩の典医森静男の長男として生まれた。明治14年(1881)、

わずか19歳で東大医学部を卒業し、軍医になる。22才の時ドイツに留学し、衛生学の研究をかさねて26歳のと

き帰国した。その後、陸軍軍医学校教室をふりだしに、軍医学校を経て、日清・日露の両戦争に軍医部長として

従軍しました。

しかし、上官ににらまれたり、ライバルにうとまれたりした結果、小倉十二師団の軍医部長という地方の任務もおし

つえられたりもしました。後には、軍医としての最高の位にもつき、また山形有朋のような政府最高の人からも信用

されて、仕事は、かなりやりやすくなりました。しかし、社会運動や思想・言論の弾圧が行われる社会では、鴎外が

若い日に抱いた遠距離目標を実現していく事は、容易ではありませんでした。

 そこで、文学や芸術の世界の仕事が、息苦しい日常生活の慰めとなったり、うるおいを与えたりするものとして、

大きな意味をもってきました。鴎外は、役所では十二分の活躍をし、役所から帰って、主として夜間、読書や執筆

に専念しました。その文学上の仕事だけでも、実に豊かで、多くの面をもっています。『舞姫』のような美しい文語体

のものから、やがて口語体に移り、『青年』『雁』のようなすぐれた現代小説を書いています。

 しかし、明治天皇がなくなり乃木大将夫妻が殉死したとき、鴎外は大変深い感動を受け、『興津弥五右衛門の遺

書』という歴史小説を書きました。それ以後小説の題材を過去に求め、すぐれた歴史小説を次々に世におくりま

す。

鴎外は、歴史をいろいろと調べているうちに、空想をまじえて変更するのがいやになり、歴史の中にうかがわれる

「自然」をできるだけ尊重しようと思うようになった、と言っています。『阿部一族』は、その代表的な例になりました。

しかし、そのうち歴史に縛られるのが窮屈に感じられ、自由に空想を働かせて書こうという気持ちが起きました。

『山椒大夫』は、その代表的な作品です。

鴎外はその後、歴史小説からさらに進んで、史伝物と呼ばれる優れた伝記文学の世界を切り開き、うずもれてい

る幕末の医者や学者の姿に共感を示しながら、彼らの生活を描いていきました。