あなたは知っていますか?鳥辺野に秘められた哀しい過去を...

 

        1.作者 石川淳の紹介

        2.紫苑物語のあらすじ

        3.鳥辺野を歩く〜鳥辺野放浪記〜

        4.感想・まとめ

 

 

      〜*〜*〜*〜 石川淳の紹介 〜*〜*〜*〜

    小説家であり,批評家でもありました。

   1899年;斯波家の次男として,東京浅草に生まれる。本名は同じ字で「きよし」と読みます。

   1914年;15歳になった淳は,石川家に養子に入る。

         (しかし,淳の父親が石川家から斯波家に養子に入っているので,

          実際には"本姓に復した"という形になります。)

   1916年;慶応義塾文科に入る。しかし半年で退学。

   1917年;東京外国語学校仏語部に入学。

         卒業後,日本銀行に勤めるが,すぐに退職。

   1924年;福岡高等学校に仏語教師として赴任するが,学生の政治活動を煽動したとして

         退職を勧告され,翌年,東京にもどる。

         後に,住居を頻繁に移転しつつ,翻訳をしながら生計を立てる。

   1935年;処女作「佳人」を発表。

   1937年;「普賢」で芥川賞をうける。同年,短編集『普賢』と『山桜』を刊行。

   1940年;最初の長編『白描』を刊行。

   1945年;日本敗戦とともに創作を再開。

         このころから安部公房が師事するようになる。1951年には安部の『壁』に序をあたえる。

   1957年;代表作の「紫苑物語」を発表する。(これが,今回私の紹介する本です。)

         この作品で芸術選奨文部大臣賞を受賞。

         「修羅」「八幡縁起」を書いて日本国家の起源に迫る。

         また,アナーキストと交遊した青年時代を回顧した長編『白頭吟』を刊行する。

 

   1961年;『石川淳全集』の刊行がはじまり,芸術院賞をうける。

   1964年;中期を代表する傑作『荒魂』を刊行。このころから、丸谷才一が師事するようになる。

   1969年;12月から1971年11月まで,朝日新聞で文芸時評を連載。

   1980年;10年をかけた巨編『狂風記』を刊行。『狂風記』はSF的な乱万丈の長編で、

         石川淳の作品としては異例のベストセラーとなった。

   1987年;12月,『蛇の歌』を連載中に88歳で死去。生涯現役をつらぬいた。

 

      〜*〜*〜*〜 紫苑物語のあらすじ 〜*〜*〜*〜

      時は平安時代。

      都の歌詠みの家に生まれた主人公の宗頼は,歌も上手く,家のものに誉められるばかりでした。

      ところが宗頼は家を捨てて,この異界の地,鳥辺野に追いやられる...

      という姿を書いた作品です。

      宗頼の放つ『魔の矢』が全てを焼き尽くし,この鳥辺野になったといわれています。

 

      〜*〜*〜*〜 鳥辺野を歩く〜鳥辺野放浪記 〜*〜*〜*〜

     2001年8月,私は鳥辺野,六波羅蜜寺を探検してきました。

 

    そもそも鳥辺野と言う地域は,昔まだ墓がなかった時代に,人の遺体が運ばれてきた地域で,

    特に平安時代,疫病などで多数の死者が出たとき鳥辺山などへ放り出されたそうです。(風葬・鳥葬)

          

 

 

        これは六道珍皇寺というところの写真です。この近くに六波羅蜜寺があります。

        昔から仏教色の強い地域でした。

          

        これが六波羅蜜寺。

        ひっそりとした所に建っていて,私の行った日にはほとんど人がいませんでした。

 

 

      〜*〜*〜*〜 感想・まとめ 〜*〜*〜*〜        

      まずはじめに,この本を読もうとしたときに思ったことは,

      鳥辺野と言う地域はもっと京都の北の方にあって,田舎の方の暗い地域...と思っていました。

      けれど実際には京都市内にあって,しかも有名な六波羅蜜寺とかかわりがあると知って,驚きました。

 

      紫苑物語では,作者の石川淳さんのことも調べる事ができ,いい勉強になりました。

 

      これからも,京都の文学をたくさん読んで,行きたいと思います。

      そして,もっと京都のことを知りたいです。