竜馬について

龍馬が、江戸で剣術修行にはげんでいたころ、アメリカから四せきの黒船が浦賀にやってきて、開国をせまったので、日本中が大さわぎになりました。
その後、幕府の力がおとろえるにつれて、長州藩(山口県)を中心に「尊王攘夷(そんのうじょうい)」の運動がおこり、土佐藩(高知県)でも、土佐勤王党(とさきんのうとう)がつくられ、龍馬もこれにくわわりました。
 勝海舟(かつかいしゅう)は1860年、太平洋を横断して、実際にアメリカを見てきた人です。そして、「外国のすすんだ知識や技術を取り入れて、早く強い国にならなければいけない。幕府だとか、藩だとかではなくて、日本をどうするかを考えなくてはだめだ。」と言いました。龍馬は、話を聞いているいるうちに、これから自分が何をしなければならないか、教えられたように思い、勝海舟に弟子入りしたのでした。
 龍馬は勝海舟の海軍塾の塾頭にもなりました。その後、海軍塾や海軍操練所で身につけた航海術をいかして、長崎に商業と海運業の仕事をする会社「亀山社中」(のちの海援隊)をつくりました。1865年のことです。
 幕府の力が弱まるにつれて、倒幕の動きが高まってきました。龍馬と中岡慎太郎は、倒幕のためには、力の強い長州藩と薩摩藩が仲なおりをして手を結ばなければならないと考えて、けんめいの努力のすえ、ついに薩長同盟(さっちょうどうめい)をつくりあげました。1866年のことです。  

ここで・・・Q&A[いろいろなページから引用・・・(−−;)]
Q→竜馬はどういう人だったのか?
A→坂本龍馬は、兄一人、姉三人の五人きょうだいの末っ子に生まれ、子どものころは泣き虫でした。  男の子がこれではいけないと、弱虫の龍馬を剣道や水泳できたえたのがお姉さんです。こうして  龍馬はだんだんと、たくましくなっていきました。
  高知では、城下町の日根野(ひねの)道場で、江戸へ出てからは千葉道場で熱心に修行をつんだ  ので、後には、剣の「達人」といわれるほどになりました。
  

Q→龍馬はどのようにして幕府を倒したのか?
A→ 龍馬はまず、力の有る薩摩藩と長州藩を結びつけることによって(薩長同盟)、幕府に対抗で  きる大きな勢力を作り上げました。そして、最新式の武器を長州藩に運びました。

Q→薩長同盟でどのような人々と会ったのか?
A→その際に、共に協力をしあった人は、薩摩藩では、西郷隆盛・小松帯刀(こまつたてわき)、長  州藩では、桂小五郎・高杉晋作などがいたそうです。            

Q→龍馬の子供の頃のあだなは? 
A→青年時代には、龍馬は土佐の仲間たちから“痣(あざ)”とよばれていたということが、明治以  降の小説や研究書に出てきます。痣(あざ)とはホクロのことですが、龍馬の妻であるお龍が、  龍馬の死後に語った言葉に「龍馬は眉の上に大きなイボがあり、顔にはホクロがボツボツあっ   た。」というのがあったそうです。

Q→竜馬はなぜ殺されたのか?
A→犯人がわからないので真相は分かっていません。しかし、今ではいろいろな考えがあります。
  1. 武士の権威を取り戻そうと考えている浪士に殺された。
  そのころ、江戸幕府をもう一度復活させて、武士の権威を取り戻そうと考えている人たちがいた。  それはたとえば、会津藩主の松平容保(まつだいらかたもり)や小栗上野介(おぐりこうずけの  すけ)という人たち。もっと身分の低い武士の中にもそんな考えの人はたくさんいた。竜馬は幕  府をなくして、自由で平等な日本を考えていたので殺されたのではと考えられているそうです。

  2. 外国人を日本に入れまいと考えている人たちに殺された。
  江戸時代は外国との交流を禁止した「鎖国政策」がとられていた。でも、当時はアメリカのペリ  ーという人がやってきていて、国を開けなければいけない状況になっていた。開国をしたはいい  けど、日本にとって平等ではない不満のある条約を結んでしまった。それで、経済が混乱して、  物の値段が急に上がってしまった。それを、外国人のせいだと思い、外国人を追い出してしまお  うという考え方が激しくなった。
  竜馬は開国して、海外と自由に貿易をして豊かな国にしたいと考えていたので、殺されたのでは  ないかと考えられている。

  3. 幕府の警察組織によって殺された。
  そのころ、幕府は京都の治安を守る目的で「新撰組(しんせんぐみ)」、「見廻組(みまわりぐ  み)」という警察組織をおいていた。天皇をとうとぶ浪士を捕らえたり、殺したりしていた。
  幕府に反対する竜馬の行動を気に入らない人も多く、竜馬自身は指名手配中だった。物的な証拠  はないのだが、見廻組の今井信郎(いまいのぶお)や渡辺篤太郎(わたなべとくたろう)の告白  があるので、これがもっとも有力な説ではないかと考えられている。

  4. 武力討幕派によって殺された。
  幕府を倒そうと考えていた人は、土佐藩の坂本竜馬だけじゃない。薩摩の西郷隆盛(さいごうた  かもり)や、長州の桂小五郎(かつらこごろう)、高杉晋作(たかすぎしんさく)らがいる。で  も竜馬が他の人と違うところは、戦争をしないで幕府を倒そうと考えていたところ。
  当時のヨーロッパの国々はアジアへやってきて、植民地にしようとしていた。当然、日本もねら  われていた。それで、竜馬は「日本の中で戦争をしたら、ヨーロッパの国に襲われてしまう。日  本を守るために軍備を充実させることだ」と考えていた。そして、「大政奉還(たいせいほうか  ん)」が実現して、戦争は避けられた。 
                                                             などです。